2018年12月15日土曜日

「東名高速道路のあおり運転事故」事件の本質は何か

「東名高速道路のあおり運転事故」事件の本質は何か

最近不謹慎ながら「面白い」時事トピックが多いですね。

今回は掲題の通り
「東名高速道路のあおり運転事故」事件の本質は何か
というところです。

あらかじめお断りしておくと、
筆者は石橋被告を擁護するものではありません。

しかし、この件についても、
メディアの一方向のベクトルの論調が
我々に悪影響を及ぼしている気がするので、
この記事の中で皆さんと一緒に本質を考えてみたいと思います。

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今日、何となく見ていたテレビのニュースで、
「あおり運転」というのは
弱いものイジメと構図が同じだ、
と偉い大学の教授がコメントしていましたが、

筆者は少し違うような気がします。

「大きなトラック、または高級セダンが
 軽自動車やハッチバックのコンパクトカーを
 あおるパターンが多い」
という統計データだけを見ると、
確かに「弱いものイジメ」という絵面に見えるのですが、

あおり運転をしている側の心理は
どういうものかというと、
恐らく強烈な「怒り」なのではないかと思います。

「イジメ」も時には歯止めがかからずに、
大きな事件に発展することもありますが、
イジメる側がイジメられる側に対して
「怒り」を持っているでしょうか。

きっかけは何かのいさかいが原因で
怒りを持っていたかもしれませんが、
その後の継続的なイジメは
何となく陰湿で、目的もなく惰性で、
ダラダラとした感じで、
ちょっとあおり運転とは違うかな、と。

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ではこの「怒り」とは何か。

にわかにはご納得いただけないかと思いますが、
これはある意味での「正義の心」が
元になっているものと思います。

「そんな馬鹿な!
 じゃあ何かい、
 石橋被告が『正義の心』を持っていて、
 それを元にしてあおり運転をしたって?
 全く話の筋がアベコベじゃん!」

そうなんですよねー。


ただ、一般的な小市民の感覚でも、
例えば、

「いや、こんな人込みで歩きタバコするって常識ないの!?」

とか、

「電車の中でそんなにおいの強いもの食べるなよ!」

とか、

「おいー!忘年会は分かるけど、
 酔っぱらって寝て、もたれかかってくるな!」

とか。

こういうのってほんとにイライラしますよね?

だけど、相手があからさまにコワモテだったら、
知らん顔して遠ざかるだけですが、
これが弱そう、屁みたいな奴なら
ちょっと正義の味方のふりして、
注意してやるか!?
なんて人もいるだろうと思います。

またその時の精神の疲れ具合とかによって、
いつもなら見て見ぬふりをするけど、
たまりかねて「ちょっとどうなの!?」と
声をかけてみたり。

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あおり運転をする人は、確信犯です。

つまり、本人たちは悪いことをしてるつもりが全くない。


「追い越し車線をのんびり走るな!」
とイライラする。

これって実は道路交通法に規定されています。
追越をしたらすぐに走行車線(左車線)に
戻らないとダメなんですよね。

「車線変更の時のウィンカーはもっと早く出せ!」
とイライラする。

これも同じく道交法に
「3秒前に出さないとダメだよー」って書いてる。


で、こういう言わば「どんくさい運転」をしている、
いかにも初心者です、とか小さな車に乗ってます、
というのを見つけると、

イジメるではなく、
「おい!ちゃんとしやがれ!」
と『正義の心』で怒気を発してあおったり、
無理やり止めて怒鳴ったりするんじゃないでしょうか。

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じゃあ、今回の石橋被告は?というと。

直前のサービスエリアで
被害者に駐車方法について注意をされて
逆上して追いかけ回した、
というようなストーリーだそうです。

これは完全に想像ですが、
駐車が下手で「過失で」悪いとめ方になったのではなく、
「おれって強くて悪だから、
 こんな止め方しても全然屁とも思わねーぜー!」
というように、故意に自分勝手で迷惑なとめ方をしたのでしょう。

この部分については石橋被告が完全に悪いですね。

これに対して被害者が注意をした。

この時彼は何を思ったのでしょうか。
「なめやがって!」
なのか、
「こういうとめ方してるの
 俺だけじゃねーじゃん!」
なのか。

この心理って、
「不公平に対抗する正義の心」
ということができるのではないでしょうか。

恐らく過去に不公平に、理不尽に(と本人は感じている)
先生や親御から叱責を受けた、
また友人から馬鹿にされた、
というようなことが積み重なっていたのではないでしょうか。

※くどいようですが、石橋被告を弁護するわけではないです。
 もう少しお付き合いください。

つまり、石橋被告の中では
自己中心的ではあるけども、
一応彼なりの理屈で正義を貫こうと怒りを持った。

ただし、その後の行動が無茶苦茶だったわけですが…。

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しかし、

「正義の心をもって怒りを覚えて」

「その後の行動が無茶苦茶だった」

というのは、

お怒りを買う、お叱りを受けることを
承知であえて言います、

最初に注意をした被害者も同じです。


「こんな止め方するなよ!」と怒りを覚えて、

(普通なら見て見ぬふりするところ、
 よっぽど腹に据えかねたのか、
 精神的に疲れていて判断を間違ったのか、

 通常の状態と比較すると
 無茶苦茶であると言わざるを得ないが)

いかにもガラの悪そうな男に
「注意を実行する」
という無茶な行動を起こした。

どうでしょうか。

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「それでもやっぱり、
 変な車の止め方をした方が悪いし、
 追いかけ回して無理やり車をとめて、
 追突させて殺しちゃったわけでしょ?
 そりゃダメでしょ?」

これはごもっともなご意見です。

しかし、あえて一度クールダウンして、
冷静に想像してみてほしいのです。

この石橋被告は本当に
かわいそうなくらい
頭が悪くて、
要領が悪くて、
過去にはいじめられていた経験もあって、
誰も助けてくれなくて、
頭のいい奴になめられないようにする、
騙されないようにするには
突っ張ってコワモテで生きていくしかない、
というような屈折した考えを持つようになり、

この東名高速の事件も、
本当に故意にトラックに追突させて
夫婦を殺害しようとしたのではなく、

ただ
「頭が悪いと思ってなめんなよ!」
と言いたかっただけなのに、
頭が悪かったせいで想像が足りなくて、
大型トラックが追突してしまった。

本当は

「しまった!こんなつもりじゃなかったのに、
 大変なことをしてしまった、
 残されたお嬢さん方を不幸にしてしまった、
 結婚するつもりだった彼女を不幸にしてしまった。」

と反省をしているのだけど、
反省をした態度を見せると
自分の頭の悪さ、弱さをさらけ出すことになるから、
またなめられる、馬鹿にされる。

だからそんな態度はとれない。

こういうストーリーだったとしたら。

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判決理由の中に
「常軌を逸した犯行であり、刑事責任は重大だ」
というフレーズが登場するのですが、

果たして本当に
「常軌を逸した」
なのでしょうか?


今回の記事で言いたかったことは、

この事件の登場人物はどこにでもいる
ありふれた普通の人間であって、

ありふれた感情を元にしたいさかいがあり、
ほんの少しの注意が不足していたために、

命を失うような事故につながった
「不幸な出来事」であり、

誰しもが物語の登場人物になりえる。

決して頭のおかしい特殊な人間にのみ起こる
特殊な事故・事件ではなかった。


つまり我々自身が
石橋被告になりえるし、
被害者の方になりえるのです。


その根拠は何か。


メディアの一本調子の論調に合わせて、

「この石橋ってのは本当に
 どうしようもない奴だな!」

と強い怒りを覚えて、
彼の本当の姿をよく知りもしないで
断罪しようとしているあなた自身です。


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