2019年1月4日金曜日

【教育方法論】私立中学受験の是非と補完の必要性

【教育方法論】私立中学受験の是非と補完の必要性

これが何とも難しい問題です。

我々の様に一度大人になって世の中に出てしまった後、
正直言ってしまうと、
「環境を金で買えるなら買いたい」
と思うことが多々あります。

街を歩いていたり、
通勤の電車の中であったり、
車を運転している最中であったり、

「できることならああいう連中とは
関わり合いになりたくない。」

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金持ちになりたいと思っても、
若い時の動機は
「贅沢をしたい。」
「他人に対して見栄を張りたい。」
「良い服を着てもてたい。」
とかごくごく単純なものでしたが、

少し年を取ると上記の通り
「訳の分からない連中と付き合わないで済ませたい。
訳の分からないトラブルに巻き込まれたくない。
だからできるだけ良い環境に引っ越して距離を置きたい。」
こんな動機に変わってくるのかなーと。

で、今回のタイトルの私立中学受験について。

これについても同じように、

単純に「より良い教育を受けさせたい」
という理由に加えて、
子どもに「より良い環境で勉強をさせたい」
さらには、
「訳の分からない保護者と付き合いたくない」
これも大きいのかなと思います。

一部の学校ではこれに加えて
「中高一貫等のエスカレーター式」
で進学が楽ちん、さらに
「ブランディング」
という意味合いも付加されてくるのかなと。

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さて、筆者は貧乏人の家に生まれたので、
小、中、高、大学、大学院まですべて公立です。
ものすごく安上がり!
親孝行この上ない!
で、私立の「し」も知らないものですから
タイトルの様に「是非」を語るのは
い無責任とお叱りを受けると承知しています。

しかし、あえて二点ばかり
私立中学受験に関しての危険と思われる部分を
以下に記事にしてみようかと思います。

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一つ目はごくごく一般的なよく言われることですが、

「子どもに楽をさせるべきなのか?」

中高一貫のエスカレーター式で進学が出来て楽ちん。
または指定校推薦で大学に入りやすい。

これがメリットなのかデメリットなのか、
ちょっと分からないなーと感じます。

もし仮に、
「この大学のこの学部に入って、
 この勉強がしたいんだわ!
 高校のうちから専門的な勉強に時間を使いたい。
 だからサクッとエスカレーターで進学して、
 途中の余計なくだらない受験戦争?
 一般的な受験の勉強に時間を割きたくない!」
と明確にゴール設定がされている上での選択であれば、
これは大いにメリットと思えるのですが、

一昔前のノリで、
「いや、大学なんぞはブランディング?
 ○○大学出身です!って言って
 『ハク』を付けるためのものでしょ?
 だからとりあえず適当に
 卒業だけできればいいんだよ」
なんて考えであれば、
それこそ「入った時は苦労した」という経験があればまだしも、
入るのも楽ちんに入って出るのも適当だと、
ちょっとね。

まあこの「適当に」の中で、
色んな経験をしてもらって
別の「勉強をした」というのも大事ではあります。

さらに、もちろん中高一貫の内部進学にせよ、
指定校推薦の枠に入るにせよ、
それなりに苦労はあるとも思います。

ただ、
本人の自己責任
(高校受験、大学受験は
もう本人が勉強するか否かしかない、という意味)で
成功か失敗かの「未来が見えない」ストレスフルな状態で、
大げさなようですが「戦い抜く」経験って、
まあそれなりに重要なのではないかと。

この一つ目はごくごく一般論の
私立中学受験のデメリット?でした。

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二つ目は
「いや、それはメリットなんじゃないの?」
という点に関しての
むしろデメリットでは?という部分です。


「訳の分からない連中と付き合わなくて良い」

確かに冒頭に記載した通り、
これは大きなメリットではありますが、

実はこれって、
「大人が理論上で想像するだけの夢物語」
なんじゃないかなと思います。

当然私立中学に入学すれば、
周りの生徒の学力の最低ラインは保証され、
親の収入状態も「全然的外れな人」はいなさそうです。

が、
①本当に訳の分からない人が混ざってない保証はある?
②卒業した後に訳が分からない人にぶち当たる可能性はない?


いずれの設問についても、
答えは「NO」になると思います。

そして上記の状況に出くわした時に当惑するとしたら、
俗に言う
『世間が狭い』
ということが原因です。

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筆者は小学校高学年から高校受験まで
地元のローカル塾に通っていました。

ただローカル塾ではあったのですが、
いくつか教室があって商圏が広く、
いくつかの中学校の生徒が集まるという塾でした。

筆者自身の学校は普通の落ち着いた学校だったのですが、
その塾に通ってくる生徒の中には
比較的「荒れた」中学校の生徒もいたり。

ただ、塾内のテストの成績順で
クラス分けをされる塾であったため、
学校が落ち着いていようが荒れていようが、
同程度の習熟度の生徒が席を並べていました。

(余談ですが、不思議なことに、荒れた中学の生徒が
 一番上のクラスにいないかというとそうでもなく、
 それぞれの中学の生徒がまんべんなくいたように記憶しています。)

さて、急に筆者の中学時代の塾の思い出話は何故?
というところですが、

この時の経験で勉強はもちろんですが、
他所の中学の生徒との交流があったことが
すごく大事だったなーと今は思います。

大げさに言うと、
「異文化コミュニケーション」
を初めて経験したのが、
この塾での他校の生徒との交流だったと思います。

「お前ら、まだ(週刊少年)ジャンプとか読んでんのか?」
と馬鹿にされたり、
「何か知らんが、○○中はかわいい子が多いよね?」
なんて話をして、
「あ、こいつら、何か俺たちより大人だなー」
と感じたり。

また単純に「他校に知り合いがいる」というだけで
何となく自分が成長したような気がしたり。


私立中学に通うメリットの一つに、
「勉強は学校で厳しく教えてもらえるから、
 塾に通わなくても良い。
 塾にかかるお金を学校にまとめて払っている」
というようなことも考えられますが、
塾に通うということの隠れたメリットに、
筆者の思い出の様に
「世間が広くなる」
または
「世間が広くなることのメリットを感じる」
というようなことも考えられるのかと思います。

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「いやいや、そんなもん、
 年を取れば勝手に世間なんて広がるでしょ?」
と言われればそれまでですが、

御子弟が中学、高校と同じ顔触れの中で
「世間が狭く」成長し、
大学に入って初めて異文化に触れる、
または社会に出て初めて異文化に触れる。

この「異文化に触れる」はつまるところ、
「訳の分からない連中に出くわす」
と言い換えることができるのですが、

こういう状態で不安ではないでしょうか。

脅すつもりではないのですが、
今までとは全く違うパターンの人間を見た時、
中学、高校で一旦固くなった頭をほぐして
「ああ、こういう連中もいるんだなー」
と柔軟に対応するって、
ちょっと大変なんじゃないかな、
と思います。

その結果、
「全然意味が分からない、ついていけない。」
「人間関係が嫌になる。」
というようなことになったとしたら。

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「いや!
 そんなこと言っても、
 もう私立中学に通わせちゃってますけどっ!?」

という場合は、
一つ目の一般論的問題については、
本人に説諭して本気で勉強を頑張らせてもらうのと、

二つ目の
「世間が狭くなってしまうかもしれない」
問題については、
是非とも今までとは違う
「学校以外のコミュニティへの参加」
をご本人に促してあげてほしいと思います。


ずっと習っていたものがあってそれを継続、
ではなく、
追加投資になってしまいますが、
新たな何らかの塾、またはその他の習い事で、
出来れば同学年、同世代のメンバーがいるところで、
自分自身やいつもの友達と
そのコミュニティメンバーと比較ができる、
というのが望ましいかと思います。


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この二つ目の問題
「世間が狭い・広い」
については、
学歴なんていう世の中に出てから
屁のツッパリほども意味がなくなるものではなく、

会社に入ろうが、
取引先と交渉しようが、
引っ越しをしようが、
御子弟に子どもができてその付き合いが始まろうが、
海外に移住しようが、
最後の最後は老人ホームに入ろうが、
今日命が尽きるというその日まで付いて回る
「人間関係の洞察の根本」
になる部分です。


これを鍛えておいて差し上げれば、
死ぬまでの資産になるのではないかと
筆者は思います。

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