2018年3月21日水曜日

安全と自由を隔てる扉は消えた。

安全と自由を隔てる扉は消えた。

我々は今まさに目の前に見えているものが、
本当に存在しているのかどうかを
疑わなくてはいけない時代に
生きているのかもしれない。

そんなことを疑いだすようでは
精神の平衡を保てずに、
それこそ文字通り
「真っ直ぐに道を歩けない」
という状態になってしまうが、

いざそこにあるものが
全く期待と違ったものであった場合、
つまり
「無いのと同じ」
または
「無い方がまだマシ」
という場合、

極めて効率化が進んだ現代であるからこそ、
ロスの膨らみ方も大きくなってしまう。

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今回はタイトルに
「安全と自由を隔てる扉」
と記載した。

日本では少し前まで
「安全と自由のトレードオフ」
が暗黙の了解として存在していたように思える。

つまり、
「世の中一般に右へならえ(自由をあきらめる)」
をしておけば
「無難に世の中でやっていける(安全を得られる)」
というような原則が信じられていたのではないだろうか。

それなりに一生懸命勉強をして
それなりの大学を卒業して
それなりの有名企業に入れば
それなりの安定した生活、人生を送れる。

目の前に扉があって、
その扉を開ければ自由があるが、
その自由は「危険」と
抱き合わせになっているものだから、
手に取ろうと思わない。
思ってはいけない。

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しかし、現在、そしてこれからは
この「扉の内側にいれば安全」ということが、
全くあてにならない、
つまり「扉」というものが実は存在していない、
ということがおおよそ明らかになっている。

過去の世の中の流れ、
自身の過去の実績、
周りの人々の多数派意見、

これらは安全を担保してくれるものではない。

不必要に不安になる必要はないが、
「安全」と思い込み、
あぐらをかくことは絶対に良くない。

そこに自分を守ってくれる扉は
すでに存在しないのである。


そういう事実を考えさせられる
我が家の一コマ。




安全と自由を隔てる扉は消えた。1

安全と自由を隔てる扉は消えた。2



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あきらめない
藤岡弘『あきらめない』


藤岡弘、の人生はサバイバルだ。
藤岡弘、の人生はサバイバルだ。






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